3.11以降、命が記号化されていった。
日曜日の朝5時、目を覚ましてテレビをつけた。 NHKの「こころの時代~宗教・人生~」で『私にとっての“3.11”』と題して、作家・辺見 庸氏が言葉を綴っていた。 辺見氏独特のものの見方から、気付かされる言葉や、胸をえぐられるような言葉が幾つもあった。 その一つに・・・ 『これだけの数字が出てくると、そのような本当に哀切極まる「死」というものが軽く考えられてしまう。 80歳、90歳の人だから、もういいだろうという事になる。 そうではない。そういう人達こそ励まし合って生きるべきなんだよ。。。助けてあげなきゃいけないんだよ。。。 若いから、この人は有能だから、この人は社会に役に立つから、だから生きてもらうって言う事では絶対に違う。 この人は何の社会の役に立たない、ほっておいたって死ぬんだから。そう言う人達には生きてもらったほうが良いんだよ。 少なくとも、そういう精神を我々が持たなければ、もう「人」ではないよ・・・』 私は、あの震災と津波の中で、多くの。。。それは多くの亡くなった命の数々を事実として自分の中に呑み込むために、 老齢の方が亡くなったという事を「仕方がない・・・」と、悲しまないように断じた。 諦めと共に呑み込んだのだ。 私は畏れ、私は慄き、私は慟哭し、私は悼み、私は祈るしかなかった。。。 そして、人としての一つの感情を諦めた。。。放棄したのだ。 それでも泣き続ければ良かったのだ。 慟哭し続ければ良かったのだ。 そうして、数ヵ月を経た或る日の昼のニュースで、 老人が海に向かい道にしゃがみ込んで泣いている姿を見て、 閉じられた蓋が外れ、涙が溢れ出した。
by butuzohono311
| 2012-02-25 09:09
| 3月11日
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