エリ トア2012 4th 春

アート系フリーペーパー、「エリ トア」で『-縁- 仏像奉納プロジェクト』の活動を取り上げて頂きました。

私達の活動を通して、少しでも被災地に関心を持って頂ける事を願います。

c0319651_8272622.jpg

c0319651_8274469.jpg



[PR]
# by butuzohono311 | 2012-03-17 08:43 | 東北に仏像を・・・

忘れないで下さい・・・

c0319651_8191228.jpg

c0319651_819344.jpg



一周忌法要、鑿入れ法要の後、供養行脚される各宗派の僧侶の方と一緒に大槌の町を歩きました。

小雪の舞う静かな町に読経の声とともに太鼓や鈴の音が響き渡っていました。


3月11日・・・あの日から一年という事もあり、

基礎だけを残した家の跡地に花を供えるご家族を何人も見かけました。


c0319651_82033.jpg

c0319651_8202170.jpg



帰りの支度をしている時に「この仏様が戻って来られるんですね。また来て下さいね。」と町の方から声を掛けて頂き、

「はい、また来ますからね。待っていて下さいね。」と私は応えました。


皆さんが手を振りながら見送ってくれました。

皆さんの笑顔が脳裏に焼きつきました。

嬉しかった。。。胸が熱くなりました。

この方達のために頑張ろうと思いました。


そして私たちは大槌町を後にして、陸前高田、南三陸町、石巻を巡り帰路に就きました。


c0319651_8205628.jpg



命が助かりながらも「死んだ方が良かった・・・」と生きている自分を責めたり、

深い悲しみや絶望によって自ら命を断つ人もいます。


私達の活動に関心が無くても構いません。

仏像に興味が無くても構いません。

被災地の事を少しでも思っていて下さい。

せめて被災地の事を忘れないでいて下さい。

どうか被災された人たちの事を頭の片隅に置いておいて下さい。
[PR]
# by butuzohono311 | 2012-03-15 09:39 | 東北に仏像を・・・

鑿入れ結縁法要・・・3月11日

c0319651_8153088.jpg


3月11日、江岸寺仮本堂において一周忌法要とともに鑿入れ結縁法要が無事執り行われました。

約350人の方に鑿を入れて頂き、仏像とのご縁を結んで頂きました。


おひとり、おひとりの鑿を入れる手に手を添えて

言葉にはならない心の奥にある思いの端に、ほんの少し触れる事が出来たような心持がしました。


鑿を入れて頂いた多くの方の想いを引き継ぎ、

その責任の重さをしっかりと受け止めて釈迦如来像を彫り上げたいと思います。

c0319651_8162932.jpg


c0319651_816121.jpg



photo by Junichi Takahashi
[PR]
# by butuzohono311 | 2012-03-13 15:29 | 東北に仏像を・・・

大槌町へ・・・3月10日

3月11日、江岸寺仮本堂にて執り行われる鑿(ノミ)入れ結縁法要のために、

仏師の三浦耀山氏、フォトグラファーのたかはしじゅんいち氏と私の三人で、

前日の3月10日早朝、岩手県大槌町へ向かいます。


大震災と津波、そして火災により堂宇の尽くを喪失した江岸寺での鑿入れ結縁法要。。。

その日から、本格的に仏像の制作が始まります。


多くの人の祈りを仏像に刻みます。


悲しみを抱えている人の心に安らぎが訪れますように。

そして、亡くなられた方の魂が安らかでありますように。
[PR]
# by butuzohono311 | 2012-03-09 13:25 | 東北に仏像を・・・

散華・・・

仏像奉納プロジェクトに截金師として参加している鷲尾美陽子さんが、

11日の鑿入れ法要の為に、散華に截金を施して下さいました。

とても美しい。。。

当日の法要に使わせて頂きます。

c0319651_19412495.jpg



鷲尾美陽子<ワシオ ミヨコ>

昭和57年 大阪府高槻市生
平成13年 京都造形芸術大学美術工芸学科日本画コース入学
     在学中より截金を学ぶ
平成16年 京都迎賓館截金舞台扉の制作に携わる
平成17年 京都造形芸術大学卒業
     平安仏所にて人間国宝・江里佐代子に師事
     仏像・工芸品の截金彩色に携わる
平成23年 銀座和光「江里康慧・江里佐代子展 仏像と截金ー光放たれるときー」
     工房スタッフとして出品
平成23年 独立

*截金(きりかね)・・・
金箔・銀箔・プラチナ箔を数枚焼き合わせ細く直線状に切ったものを、
筆と膠などの接着剤を用いて貼ることによって優美な文様を表現する伝統技法。
日本では古くから仏像や仏教絵画の装飾に使われてきました。

c0319651_1942719.jpg


截金彩色飾筥「夏深し」
[PR]
# by butuzohono311 | 2012-03-08 08:40 | 東北に仏像を・・・

3・11以前と以後・・・

あの日から一年が経とうとしている。


自身の胸にも問い続けている。

何事もなかったように、3・11以前と同じであって良いのであろうか。。。

日常や大切なもの、希望・・・そして夢。


いや・・・3・11以前には戻れない。


あの見た事もない風景に相応しい言語というものを人類は持ち合わせているだろうか。

ひとりひとりの悲しみや苦しみに寄り添える言葉を持ち合わせているだろうか。

どのような表現も相応しい言葉が見つからない。


・・・3・11以降


自分にどのような表現が可能なのかは判らない。

せめて、その記憶の断片を刻み込む事は必要なのではないか。

そう考えた時、絵画や彫刻などは言語化出来ないものを表現する最後の手段なのではないだろうか。


絶望と悲嘆から目を背けないと言うこと。

嘆き、悲しみ、苦しみ、畏れ、悼み、祈り・・・

愛おしむように、ひとつひとつを丁寧に拾い上げ、すべてに誠実であること。


意思と意識、無意識を持って絶えず思考し続け、

あの3月11日の悲劇を記憶にとどめると言うのが私の誠実というものではないか。
[PR]
# by butuzohono311 | 2012-03-01 15:11 | 3月11日

告白・・・

3.11以降、命が記号化されていった。


日曜日の朝5時、目を覚ましてテレビをつけた。

NHKの「こころの時代~宗教・人生~」で『私にとっての“3.11”』と題して、作家・辺見 庸氏が言葉を綴っていた。


辺見氏独特のものの見方から、気付かされる言葉や、胸をえぐられるような言葉が幾つもあった。

その一つに・・・


『これだけの数字が出てくると、そのような本当に哀切極まる「死」というものが軽く考えられてしまう。

80歳、90歳の人だから、もういいだろうという事になる。

そうではない。そういう人達こそ励まし合って生きるべきなんだよ。。。助けてあげなきゃいけないんだよ。。。

若いから、この人は有能だから、この人は社会に役に立つから、だから生きてもらうって言う事では絶対に違う。

この人は何の社会の役に立たない、ほっておいたって死ぬんだから。そう言う人達には生きてもらったほうが良いんだよ。

少なくとも、そういう精神を我々が持たなければ、もう「人」ではないよ・・・』



私は、あの震災と津波の中で、多くの。。。それは多くの亡くなった命の数々を事実として自分の中に呑み込むために、

老齢の方が亡くなったという事を「仕方がない・・・」と、悲しまないように断じた。

諦めと共に呑み込んだのだ。


私は畏れ、私は慄き、私は慟哭し、私は悼み、私は祈るしかなかった。。。

そして、人としての一つの感情を諦めた。。。放棄したのだ。


それでも泣き続ければ良かったのだ。

慟哭し続ければ良かったのだ。



そうして、数ヵ月を経た或る日の昼のニュースで、

老人が海に向かい道にしゃがみ込んで泣いている姿を見て、

閉じられた蓋が外れ、涙が溢れ出した。
[PR]
# by butuzohono311 | 2012-02-25 09:09 | 3月11日

図面(原寸)・・・

3月11日の大震災と津波で被災された岩手県大槌町の「江岸寺」様へ奉納する「釈迦如来坐像」の原寸の図面です。

ご本尊として祀られる釈迦如来坐像は「法界定印(ほっかいじょういん・・・
膝の前で掌を上に向け、左手の上に右手を重ね、親指の先を合わせた印相)」が最も多いのですが、
何故、『施無畏与願印(せむいよがんいん)』の印相にしたのかなど、詳しく説明させて頂いてます。

c0319651_8114416.jpg



・釈迦如来坐像
江岸寺は曹洞宗の寺院の為、ご本尊として釈迦如来像を奉納いたします。

・施無畏与願印(せむいよがんいん)の印相
施無畏印(手を上げて手の平を前に向けた印相)は人々の恐怖心を取り除いて救済する事を示し、
与願印(手を下げて手の平を前に向けた印相)は人々の願いを叶える事を示します。

甚大な被害をもたらした大震災と津波で亡くなられた方、家族や親しい人を亡くされた方・・・
被災された多くの方の心の傷を取り除き、心安らかなる穏やかな日を迎えられるように願いを込めて
『施無畏与願印』の印相にしました。

・裳懸座(もかけざ・・・坐像の裳裾が台座にかかり、垂れ下がっている形)
この度、薬師寺執事 大谷徹奘師により江岸寺とのご縁を取り持って頂いた事から、
薬師寺のご本尊「薬師如来坐像」にあやかり、裳懸座としました。

・仏像の胎内は空洞になっており、平安時代から様々な記録を残してきた優れたタイムカプセル。
今回の仏像の胎内、台座内部にも結縁者の名簿、今回の造仏の制作過程を記した文書、
震災の記録等を入れて、100年後、1000年後の後世に伝えます。

・像高 70cm、 総高 160cm、

・材木 木曽檜
[PR]
# by butuzohono311 | 2012-02-21 20:15 | 東北に仏像を・・・

忘れない・・・

c0319651_20551180.jpg


きっと、三月十一日の大震災の事も忘れ去られて行くのだろう・・・。

人は「忘れる」生き物。

「忘れる」事は人間が生きて行く上で獲得した術なのだ。

「忘れる」事で未来に向け、前を向いて歩く事が出来る。


しかし、私は忘れたくない。

生きて行く上で大きな重荷を背負う事になっても。


私の中で大切な思いがあるとするならば・・・

この震災と津波で街は消え、多くの命が呑み込まれ、

大切な大切な何気ない日常が奪われた・・・と言う事実を「忘れない」と言う事。


何もかも無くなってしまった街の景色も、舞っていた雪も、

北の空も、穏やかな海も、冬の冷たい風も、吸い込んだ冷たい空気も、

一つ一つの言葉も、一つ一つの想いも、

決して「忘れない」と言う事。
[PR]
# by butuzohono311 | 2011-12-25 20:12 | 東北に仏像を・・・

長い長い戦い。。。

震災から9ヵ月が過ぎようとしていた12月初旬に初めて岩手県大槌町を訪れた。

瓦礫も片付けられ、茫漠とした被災地に入った事は遅きに失したのかもしれない。

悔恨の情と懊悩、焦燥感・・・自分の中で複雑な思いが同時に押し寄せてきた。


少しづつ穏やかさを取り戻しつつありながらも拭い去れない喪失感と未来への不安の中、

手を合わせる仏様が欲しい、そして私たちの事を忘れないで欲しいと言う痛切な思いが伝わってきました。。。



被災された多くの方は、生涯を懸けても失ったものを取り戻すことは不可能・・・なんだと思う。

それほど、失ったものは計り知れない程大き過ぎる。


被災された方にとっては、これからが生涯を懸けての長い長い戦い。

戦っていかなければならないんだ。。。
[PR]
# by butuzohono311 | 2011-12-24 20:11 | 3月11日

紡いだ縁・・・

大槌町で江岸寺の副住職と弟さん、そして吉祥寺のご住職に会って、皆さんとても喜んでくれた。


スッと繋がった。

お会いした刹那、心と心が繋がったような・・・そんな心持ちがした。


ここに来るまでに、多くの方のご尽力と、ご協力を頂く一方、

怪訝な顔をされたり、無視をされたり、批判を受けたりもした。


各方面、多くの方に頭を下げ、連絡を取り、調整をし、

東奔西走・・・東京、奈良、京都へ行き、

やっとの思いで大槌町の江岸寺さんに辿り着いた。


ポンっと繋がる縁もあれば、

紡いで紡いで、やっと繋がる縁もある。


やっと巡り会えた。。。


ここまで遠かったなぁ・・・と感慨深い思いもある。

これからがスタートだ。
[PR]
# by butuzohono311 | 2011-12-23 20:09 | 東北に仏像を・・・

大槌町を後にして・・・

c0319651_20524651.jpg


帰り、新花巻の駅で新幹線を待つ間、待合室のガラスケースに展示されている地元(岩手)の物産品を見ていた。

その中で、あるものに眼が釘付け。

『おとうさん、さけだよ!』

あまりにもパンチのある商品名・・・( ̄☐ ̄;)

ノックアウトされたよ・・・

c0319651_20531351.jpg



[PR]
# by butuzohono311 | 2011-12-23 07:07 | 東北に仏像を・・・

江岸寺・・・

江岸寺(こうがんじ)さんに着いた。

と言ってもプレハブの仮設のお堂。


副住職の大萱生 良寛(おおがゆう りょうかん)さんをはじめ、

間に入って調整して下さっている吉祥寺の住職、高橋 英悟(たかはし えいご)さんと良寛さんの弟、知明(ちみょう)さん、

檀家の総代の東梅(とうばい)さんもご一緒に、とても温かくお迎えして下さった。

c0319651_204646.jpg


c0319651_20462745.jpg

良寛さん、知明さんは穏やかな口調で話されているが、当時の話しの悲惨さは筆舌に尽くしがたい・・・

ご自身も津波に呑まれながら一命を取り留めたけれども、

お父さんと息子さんを津波に流され今現在も行方不明。

地震と津波、そして火災とで寺はことごとく失われてしまった。

山の斜面にある墓地も薙ぎ倒され、熔けてしまった鐘楼の鐘が火災の激しさを物語っていた。

骨も灰になってしまって遺族も誰の骨なのか判らなくなってしまったとおっしゃっていた。


現在は仮設のお堂が建てられていたが、檀家さんや町の人が先祖を供養し

心の寄り処として手を合わせられる場所、そして仏様が欲しいと切望されていた。


多くの人が、様々な形で被災地を支援している中、

自分のやろうとしている事が必要の無いものとは思いたくはなかった。


大槌町を訪れ、江岸寺さんに「皆が集まって『祈る』仏様が欲しい」と言われて、

自分のやろうとしている事が無駄ではなかったと確信が持てた。

また、「忘れないで欲しい」という切々たる思いが痛いほど伝わってきた。

c0319651_20472156.jpg


c0319651_20473655.jpg

お墓のある山の斜面を登り、町を眺めた。

穏やかな海が冬の光りを受けてキラキラしていた。

斜面を降りて、本堂があった場所に立って空を見上げた。


大きく息を吸い込んで深呼吸をした。

たくさんの人の喜びも悲しみも苦しみも、涙も笑顔も、この町にあった何気ない日常も、

津波に呑まれ奪われた希望も夢も、すべて吸い込もうと思った。


深呼吸を繰り返しているうちに涙が出そうになってやめた。。。
[PR]
# by butuzohono311 | 2011-12-20 12:59 | 東北に仏像を・・・

大槌町へ・・・

c0319651_2043215.jpg


朝、ホテルの近くにある寺院「石応禅寺」に参拝。

気が付くと風花。

山を越えて雪が舞ってきたようだ。

天気予報では晴れだったのに・・・

c0319651_20433771.jpg


釜石から大槌町に向かう途中、途中の町がことごとく消滅しまっている。

・・・と思えば、瓦礫が堆く積み上げられている所もあった。

c0319651_2044591.jpg


大槌に入ると、まったく静かだ・・・

鉄骨の建物だけを残して何も無くなっている。

見渡す限り何も無い。

風だけが通り抜ける・・・

まるで、最初からこのままの景色だったかのように、静かで人の気配がない。

きっと何もかも片付けられてしまって、人の臭いも営みの痕跡も消えてしまったんだ。

その静かな町に重機の音だけが絶え間無く響いていた。
[PR]
# by butuzohono311 | 2011-12-20 12:30 | 東北に仏像を・・・

釜石にて・・・

c0319651_20182756.jpg


c0319651_20185238.jpg


釜石に着いた。

大町(港方面)にあるホテルまでの道を歩いていると、

だんだんと被災している家屋をあちらこちらに目にするようになった。


ホテルは正面の入り口から入る事は出来ず、脇の階段を上がった2階にあるレストランを通り抜けて、

長机を並べただけの臨時のカウンターでチェックインを済ませた。


コンビニで買った弁当で遅い昼食。

荷物を置いて、只越町、浜町・・・津波に呑み込まれた町へ歩いて行った。

車は走っているが歩いている人はいない。

c0319651_20193946.jpg


c0319651_20132247.jpg



釜石港の方に歩いて行くと被害の度合いが濃くなって行った。

ほとんどの家屋が破壊されており、家の基礎だけを残して跡形の無い所も、そこここにあった。


破壊された建物には「×」のマーク。

遺体がそこにあったと言う印し。

c0319651_20153066.jpg


c0319651_20151379.jpg



c0319651_2014236.jpg


壁が破壊され、鉄骨だけの建物もそこら中にあり、

強く吹く風が通り抜けると、ビョービョーと叫び声にも似た音が人影のない街に響いていた。


あれから、約9ヶ月の時間が流れた。

散乱していた瓦礫やヘドロ等は片付けられていた。

c0319651_20155012.jpg



この街で多くの人が普通に暮らしていた。

掛け替えの無い、ありふれた日常がここにはあった。


私は街を歩き、悲しみの断片を探し、拾い集めた。

c0319651_2017237.jpg

c0319651_20165089.jpg


c0319651_20202381.jpg


街がビョービョーと泣き叫んでいた。

12月4日・・・私は独り、風に吹かれながら釜石の街を歩き続けた。
[PR]
# by butuzohono311 | 2011-12-18 20:57 | 東北に仏像を・・・